軍艦島に上陸しました! その3

こんにちは!稲荷こんこです☆

ということでね、軍艦島レポート最終回の今回は、調べていくうちにわかった
「興味深い豆知識(?)」あれこれをお届けしますよー!



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軍艦島に上陸しました! その2




・保育園と幼稚園

小学校、中学校と高校のことは昨日の記事で触れましたが、保育園と幼稚園は…?
調べてみたら軍艦島にも保育園・幼稚園はあったようです。
が、個別の建物としては存在しておらず、第65号棟の屋上に建てられていたそうです。
最盛期(1961年)には、園児220名のマンモス幼稚園だったのだとか。

・病院

軍艦島には鉄筋4階建ての端島病院がありました。
1~2階が診療及び治療室。3階は入院患者の病室。4階は医師・看護婦の宿舎だったそう。
ちなみに、医師は端島には定住しておらず長崎医大等から交替で一定期間出張していたのだそうです。



・子供

軍艦島は土地が狭かったことと直線が少なかったこと、また高層アパートばかりで平坦な土地が少なかったため
島の子供は徒競争が遅く、反対に跳躍能力には優れていたのだそうです。
たった一世代なのに、そんなに身体能力に影響があるのですね。
なんとも、興味深い話です。

・防波堤

もともと気象条件が厳しい土地柄だったため、台風の日には防波堤を越えて波が襲うことも多かったそう。
そのため住宅棟は更なる防波堤の代わりとして、また波の荒い外洋側に建てることによって炭鉱施設や幹部社員の社宅を守っていたのだとか。
あー…。

・食料

食糧は島内の食料品店で購入ができました。しかし、もちろん島への食料品の供給手段は船だけ。
その為、時化で船が何日も止まると店の食料品が底をついてしまい、その間島民は缶詰を食べていたのだそうです。
完結した都市と言われていても、やはり食糧問題は深刻だったのですね。



所謂廃墟萌(厳密に言うと、廃遊園地萌ですが)な稲荷は
そう言った意味でもこの軍艦島上陸を楽しみにしていたのですが
実際は安全面から、島の南部に整備された見学通路しか歩けないのですよ。
(ここは比較的安全な場所なので、あまり廃墟としての魅力はありません)
本当は、もっとアパートの密集した辺りが見たかったのですけれども…ね笑

もっと整備されれば見学可能範囲も広がるのでしょうが、それは同時に人為的に作り替えられるという意味でもあって。
なかなか、難しいですね笑

と、こんな感じですが
軍艦島レポートにお付き合いくださいまして、ありがとうございました!!

稲荷こんこ http://a-a-o.org/profile/konko/

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