軍艦島に上陸しました! その1

こんにちは!稲荷こんこです。

今回は「軍艦島」のレポートです!

「端島(はしま)とは、長崎県長崎市(旧高島町)にある島である。かつては海底炭鉱によって栄え東京以上の人口密度を有していたが、閉山とともに島民が島を離れ、現在は無人島である。軍艦島(ぐんかんじま)の通称で知られている。」
ウィキペディア (Wikipedia): フリー百科事典より引用



そんな軍艦島ですが、2009年4月22日から上陸できるようになったこと、また昨今の廃墟ブームもあって名前を聞く機会が増えましたね。
けれども、実際には軍艦島ってどんな場所かよく知らない方も多いかと思います…!



と、いうことで
稲荷の簡単「軍艦島レクチャー」笑

ずばり軍艦島とは、1890年から三菱の経営によって製鉄用の原料炭を供給し日本の近代化を支えていた海底炭坑の島です。

そもそも軍艦島は「島」ではなく、もともとは現在の3分の1ほどの面積の(南北約320メートル・東西約120メートル)小さな瀬でした。
その瀬の周囲を6回の埋め立て工事によって、南北約480メートル・東西約160メートルの現在の大きさにまで拡張したのだそうです。

炭坑の開発に伴い従業員のための住居施設の建設がはじまり、1916年以降には次々と鉄筋コンクリート製の高層集合住宅が建設されます。

最盛期の人口は5,267人で世界一の人口密度だったそうです。
病院や学校のほかに、寺院、神社や映画館などの娯楽施設も建設され、不自由のない都市となりました。

しかし、昭和30年代の後半のエネルギー改革により1974年1月15日に閉山、そして4月20日には全島民が島を離れ、完全な無人島となりました。

ちなみに「軍艦島」と呼ばれるようになった由来ですが
島に日本初の鉄筋コンクリート製の集合住宅「30号棟」が建設された年に、大阪朝日新聞が島の外観を「軍艦とみまがふさうである」と報道したから。だとか
当時三菱重工業長崎造船所で建造中だった日本海軍の戦艦「土佐」に似ていたから。だとか、言われています。



そんな感じでね。
稲荷は実際に、この軍艦島に上陸して参りましたよ!

無人島となり放置され建物の崩壊が進んでいる現在の姿はどうなっているのか…

…次回に続きます!

稲荷こんこ http://a-a-o.org/profile/konko/

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