軍艦島に上陸しました! その2

こんにちは!稲荷こんこです☆
 と、いうことでね
前回に続いての軍艦島レポート、ですよ!


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「軍艦島に上陸しました! その1
外洋の荒波による船揺れに驚きましたが、なんとか接岸し、無事上陸!
(天候基準をクリアし、上陸できる日数は年間100日程度と想定されているそうです)
 
そして目の前に広がっていたのは廃墟と化した空間でした。
 
・端島小・中学校(70・71号棟)
島内の子供たちが通っていた学校です。
三菱社が設立しましたが、1921年に私立から公立に移管し高浜村立端島小学校となりました。
今の学校跡は1958年に建てられた校舎となります。
1階から4階までが小学校、5階と7階が中学校。6階には講堂や図書館、音楽室等が設けられていました。
なんと、給食の配膳用に島内唯一のエレベーターも設置されていたのだそう。
学校の手前に見える朽ちた鉄筋のドームは体育館跡です。
また、高校は端島には無かったので島外の高校に通っていたそうです。



・幹部職員用住宅(3号棟)

炭鉱の幹部職員が住んでいた3号棟。この建物はこの島で一番高い部分に建っています。他の住宅とは異なり、この3号棟は内風呂完備だったのだそう。
 


・鉱業所・総合事務所

レンガ造りで、まるで遺跡の様な総合事務所跡。炭鉱業の中心となっていたところです。
炭鉱員の為の共同浴場が3つ設けられており、地下600mから上がって服を着たまま浴槽に入り服を脱ぎ洗いしながら次の浴槽へと移っていったそう。
ちなみに第1と第2浴槽は海水、第3浴槽のみ真水が使われていたとのこと。



・30号棟

1916年に建てられた30号棟。別名「グラバーハウス」
名前の由来も調べたのですがわからず…。
日本最古の鉄筋コンクリート造の高層アパートです。
鉱員住宅として建設され、なんと地下には売店もあったのだとか。
内庭には吹き抜けの廊下と階段があり、1階には理髪店や郵便局も設置されていたそうです。
また、この棟には屋上農園があったそう。子供たちの情操教育と植物知識の為なのだとか。

と、いうことでね。

現在観光客の立ち入りが許可されているのは見学用の歩道のみ。
その為、島内のほとんどの場所は見られないのですよ。
本当に見たいのは、立ち入り禁止になっている島の北側なのですが…危険なのでしょうね。
むむむ。
さて、そんな感じの軍艦島…やはり独特の雰囲気をもった不思議な場所でした。
次回は軍艦島について調べていくうちに知った、色々なことを書いてみたいと思います。

どうぞ、お付き合いくださいねー!

稲荷こんこ http://a-a-o.org/profile/konko/

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